社長の部屋PRESIDENT ROOM

見聞・体験録

ダラスの暑い日

2002.07.01

 6月末、テキサス州のダラスを訪れた。ダラスは巨大な都市である。高層ビルも中心部には林立するが、それ よりも広大な平原に限りなく広がる街であることが起伏の多い日本に住む我々には圧倒される。ハイパワーのエンジンを積んだ車で疾走しなければ毎日この広さは空しさを感じそうである。全米でも指折りの巨大空港フォートワースは7本の滑走路を持つ。その理由も地図を眺めれば納得できる。広大な面積をもつテキサス州では隣の州に行くにも車では気が遠くなりそうなくらい遠い。緯度は我が熊本とほぼ同じであるが太陽の日差しの強さは遥かに強いように感じた。6月末というのに気温は40度近い、真夏には50度近くまで上がることもあるらしい。蒸し暑いということであったが我が熊本に比べれば、まだ爽やかというところか。
 テキサスの州旗は知る人ぞ知るローンスター。テキサスにはこの旗が実によく似合う。星条旗があれば必ずローンスターがあるという感じ。「テキサスはアメリカではない。テキサスはテキサスだ。」とよく言う。確かに全米広しと言えどこれほど独自性に自信を持つ州は少ない。   
 日本人にとってダラスといえば「ケネディ暗殺」ということしか思い浮かばない人がほとんどではなかろうか。私にとっても小学生時代の実に衝撃的な出来事であった。1963年11月22日(米国22日)の朝、日本全国に衝撃が走った。日米間で初の海底ケーブルによるテレビ生中継を固唾を飲んで待ち受ける中の最初の映像がケネディ暗殺を告げるニュースだった。歴史の歯車が回ったのを生まれて初めて実感した瞬間であった。信じられない事、ある筈が無いことが起きるというのを肌身で感じたという思い出の日である。
 その現場にどうしても行きたくて土曜の昼下がり、現地の方に無理を言って連れて行ってもらった。 現場は正にその当時のままに保存されていて、道路とその周りの芝生、坂道そしてオズワルドがそこから狙撃したという教科書配送センターのビルも外観もそのままに保存されている。 周辺には駐車場もあり観光客が訪れていた。ビルの中はケネディ博物館になっている。展示物はすべて当然撮影禁止であるが、狙撃した隣の窓から外を撮影したら咎められ、ビデオカメラを強制的に預けさせられた。同伴者の話では景色自体に著作権のようなものを持っているのではとのこと。アメリカらしい話である。
 ケネディ暗殺から40年近い歳月が流れた。あの時のあの現場に、まさか自分が立つ日が来るとは小学生だった私には夢にさえ思えなかった。そんな事を考えながら現場に佇み、遠い子供のころの自分と憧れだったケネディ大統領のことを考えたりして、少し胸が熱くなる思いがした。私の「ダラスの熱い日」だった。

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