社長の部屋PRESIDENT ROOM

随想編

参禅記 その22

2017.10.03

 禅では「面壁三年」の故事がある。開祖達磨大師が壁に向かって3年間坐禅をし、ついには歩くことさえ出来なくなったが悟りを開いたことに由来する。曹洞宗ではとにかく理屈ではない只管打坐だ、先ず坐禅せよ、との教えが原点にある。私の早朝坐禅会も全く勉強会の形はとらない。坐禅と読経の90分だ。その内の45分間は、坐禅堂に着いたら黙って畳に上がり壁に向かって半目で座る。雑念を取り払おうとすれば雑念ばかりだし、座り方が悪いと姿勢保つことと痛みに気持ちが奪われ、終わるのを待つという心の揺らぎに支配されるが、時にはあっという間に時間が過ぎることもある。
 そもそも壁に向かって何を見つめるかも難しいが、最近壁の向こうに何があるのかと思うことがあった。時々ではあるが、参禅し壁に向かい始めて4年、本当の壁の意味を感じ始めた。私が壁の向こうに気持ちを持っていっていない、壁の手前に居て社会や人を見つめているのではないかと気づいた。正に知っているつもりの世界だ。
 世の中を見るのに自らはそこに踏み入らないで、壁の手前にいて分かったつもりで判断し、関わりあるものであれば指示さえしている。果たして壁の向こうへ行って相手の話の理解を深めているだろうか。人は相手を理解したつもりで、相手が自分を理解しないことを嘆くが、自分が相手を理解していない事を嘆く人は極めて稀である。半分は居てもよさそうだが…。「理解してから理解される」「7つの習慣」でも述べてある。
 壁の向こうに解(答)があるし、永遠の安らぎでもある真理があるのだろうが、多くの場合壁の向こうに思いもしない世界があるとは思わない。今見えている世界と理解している世界がすべてだと思い判断を下し結論と為す。私もそうだ。悲しいかな、壁の向こうに自由で何事にもとらわれないで、あるがままを捉え理解できる世界が広がっているのだろうが、多くは忙しさや面倒さからか先に踏み入らない。自分にとって価値があると思っていないのかもしれない。
 必要であれば相手が踏み込んでくるべきだと勝手に思い込んで、理解し合う機会を放棄している。壁の向こうはきっと自分に気づきの多い世界なのだろうが…。
 世界はこの程度の課題に満ちている。身の回りも、政治も宗教も国際問題も、こちらから眺め判断する。それでは金正恩を理解できるはずもないし、対立の構図は終わらない。常に相手が悪い、という対立の構図が続く。

2017年10月3日起筆

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