社長の部屋CEO's ROOM

03.随想編

「なぜ働くのか」集

2012.10.29

以下は、2012年10月の朝礼3分間スピーチのテーマとして掲げた際に社内で配信したメール配信集である。

月曜朝礼スピーチのメール配信 2012.10.1(月)

「なぜ働くのか」1

?働く意義を考えてみよう?

 働くということの意義は、個人によっても時代によっても、民族・宗教によっても違う。勿論、生活を支える根本になることが多いのは一致しているが、同じように行う労働であっても心の持ち方で行き着く結果も違うだろう。

 西洋では神が与えた罰則として考えられることも多いが、日本では働くことは神聖であり働くことそのものに意義や目的があると説く方が多い。資産を持って働いていない人の評価は低いのが、日本社会である。物を手に入れる為だけではなく崇高な精神や自分を高める手段としての意味も考えてみたら如何だろうか。

 以下に10月1日の本社の朝礼で引用した「3人のレンガ職人」の話の詳細を諸君に提供する。

 イソップ寓話「三人のレンガ職人」の話です。

 ここは中世のヨーロッパ。大きな修道院を建築していました。この修道院は完成までに100年掛かるといわれています。そこに、3人のレンガを積んでいる職人がいました。

 一人の職人に、何をしているのか尋ねました。すると「見ればわかるでしょうレンガを積んでいるんですよ。こんな仕事はもうこりごりだ。」と怒った口調で答えました。

 次の職人に同じことを尋ねると「レンガを積んで壁を作っています。この仕事は大変ですが、賃金が良いのでここで働いています。」と答えました。

 3人目の職人にも同じことを尋ねると、彼はこう答えました。「私は修道院を造るためにレンガを積んでいます。この修道院は多くの信者の心のよりどころとなるでしょう。私はこの仕事に就けて幸せです。」

 それから10年後。

 最初の職人は以前と同じように、愚痴をこぼしながらレンガを積んでいました。二人目の職人は「もっと条件のいい仕事があった」と言って、賃金は良いが危険な修道院の高い屋根の上で働いていました。3人目の職人は、色々な知識や技術を覚えたため、現場監督として施工を任されるようになりました。そして多くの職人を育てました。

 その後、この修道院に彼の名前を付けられたそうです。

 さて、貴方はどのレンガ職人の生き方に共感するか、または目指すか。

月曜朝礼スピーチのメール配信 2012.10.8(月)

「なぜ働くのか」2

 働く目標がない時ほど寂しいことはない。私は学生時代に生きて行く目標を見失っていた時期があった。実に外から見れば怠惰であり楽な生き方のように見えたかもしれないが、心の中は氷河期にあった。

 人より随分遅れて就職したとき、「3年間は何が何でも批判しないで、がむしゃらに汗を流して働いてみよう。」と誓った。その誓いがなければ一年で放り出して仕舞うほど環境は激変で厳しかった。4年後には3か月で体重が10kg以上も激減するようなことも体験した(後に病気ということだった)。しかし、その時は働くということに抵抗はなかった。迷いなく働くことで堂々と世間を大手を振って生きていけることに嬉しさと感謝があった。まだ当時は、何のためにというような積極的な関わりを求める段階ではなかったが。三年間がむしゃらに、求められることに最高の答えを出そうとだけ考えながら生きていた。

 仕事に迷いなど生じている時代は、大きな目標など一朝一夕には出会えないかもしれないが、仕事をする中で自らがやった仕事に手ごたえを感じることを先ず求めてみよう。

自分の努力や汗で仲間や社会に何らかの貢献ができていることを感じたら、その手応えを最大にするために自分の遣れることが何がまだあるかを探し、更に自らの貢献を高める。(これは人のためにではなく、間違いなく自分の生き甲斐との出会いを求めてだ。)

 暫くすると周りの期待が高まってくることに気づくだろう。それは確かに負担が高まることにつながるが、それも続けるうちに自分の力が高まり人への発信力、影響力の高まりを実感するだろう。

 人の期待というのは確かに重いものだが、それに応えようと努力する自分には言葉にできない満足感を感じるものだ。そうすると本当の「何のために働くのか」という答えと出会えるだろう。

月曜朝礼スピーチのメール配信 2012.10.15(月)

「なぜ働くのか」3

2004年6月の「社長かわら版」に掲載した以下の記事を紹介する。

「『我に心より働く仕事あれ、それをし遂げて死なんと思う』

 私の好きな石川啄木の歌の一つ。若い頃、人生に目標を失っていた時代があった。

其の頃出会って心にずっと突き刺さっている。

今、自分の仕事に100%満足しているわけではないし、他にもしたい仕事が沢山ある。しかし、あの何の目標も見出せず、生きることにさえ価値を見出せなかった頃に比べれば幸せだと感じる日々がもう四半世紀続いている。だから時々、あの頃の私のような若者に出会うとお節介をやきたくなる「先ず考えないで動いて汗をかいてみろ」と。

 あの学生の頃の心情は今でも思い出す。苦しい仕事を遣っている時でさえ、目標を見失って生きていた頃に比べればまだ生きている実感がある、と思ったりする。

 仕事は生活を支える為というのが第一義となることが多いだろう。

 しかし、収入だけで仕事を選んでる人も多くはない。内容に拘るのは世間体や楽したいというだけでもなく多くの人は遣り甲斐と喜びを求めているのだと思う。

 仕事をしなくても生きていけるというのは、決して幸福をもたらさない。人を悦ばせてそれによって自分が生きている実感を味わうのに仕事が私は一番良いし、生き甲斐を感じることもできる。

 ボランティアは確かに重要だが、自分がそれによって生かされているという実感と感謝が薄くなる分、私には感動も減じる。

 仕事で周りのスタッフ、取引先に喜びを創造し、納税によっての社会貢献というのは最大の働き甲斐。勿論、仕事である以上それが目的ではないが一番の収穫になる。動物と違うところが、そこにあるのではないかな。

 啄木のこの句は20代前半より私の心に突き刺さって離れない。脱サラも、創業も、会社の方向も…、決めるときに常に心にあって、これを求めて生きてきた。

蛇足として啄木の句をもう一つ

「高きより 飛びおりるごとき心もて この一生を終る術なきか」

そうありたいとよく思う。

トップメッセージ 2012.10.22(月)

「なぜ働くのか」4

 今日は久しぶりに懸賞付きトップメッセージ

「…… 私たちはもっと労働について語らねばならない。労働の持つ内容は、現在語られている多くの恋愛よりも、インテリゲンチャのある種の悩みよりも、ないしは消費生活の絢爛さよりも、はるかに豊富で、人類を益するものである。」

 昭和13年雑誌「新潮」に掲載された熊本が生んだ或る作家の小説の最後尾の文章である。

 “働くということは単に生活の糧を得る為の手段だけではなく、働くことは自分の成長を促したり人生を豊かにしたりすることで、恋愛や哲学や物を手に入れる喜び以上に価値があり社会を豊かにする。決して仕方なく働くという狭量な考えでなく、人生をより深く広くする意味合いも考えてみよ”ということを作品で伝えているように思う。残念ながらこの作家は一つの代表的な作品以外はほとんど知られていないが、その作品以上に幾つかの短編が私を感動させる。

さてこの作家と代表的作品とは?

 メール回答先着一名に私からCUOカード1000円分を進呈!!

私は学生の頃、一時期この作家の一部の小説に傾倒した。この作家はプロレタリア作家として有名であり一部には共感しない作品もあるが、自らの貧しい生い立ちから生まれた作品には素朴な働くこと生活することへの厳しさと温かさがある。

 昭和初期の厳しい生活環境の中でさえ、貧しさの中で働くということは卑屈なことではなく崇高で気高く生きることだと伝えている。

もしこの作家の作品に興味あれば別途連絡あれ。

月曜朝礼スピーチのメール配信 2012.10.29(月)

「なぜ働くのか」5

 このテーマも今回で最後。このテーマを提供してくれた下田課長に感謝する。

今日は働くということを実践する場としての会社を、私がどの様に運用することを目指しているかを述べてみたい。

 私はプレシードを製造業というジャンルで考えるのは好きではない。確かに装置という物を造って納品してその代償として金を貰っているのだから製造業というのは間違いないが、我々が売っているのは目的を達成するために考えて造った装置その物ではなく、其れを考えた経験とアイデアが我社の商品だと思っている。

 アイデア、思想を形にしたのが装置であって、販売したのは物というより我が社の考えと主張の筈だ。部品代と労務費の合計が我々の製造原価ではない、過去の失敗や成功の経験が最も大きな商品の原価であると思っている。

 我社で働くということは収入を得る為に我慢して労役に耐えることではなく、働いているその瞬間その現場に感動とか手ごたえを感じる生き甲斐を感じるものであって貰いたいと創業以来願っている。仕事は時として大変きついことではあるが、自らの成長やその場での感動と出会えるものであってほしい。

 数年前、我社のアルミプロファイル切断現場に若い女性3名が働いていたことがある。その3名の仕事は切断後のアルミプロファイルを綺麗に清掃して並べるということの繰り返しだった。作業そのものは多少のコツはあるにせよ数時間もすれば殆ど問題なく出来る仕事だ。この単調な仕事を春夏秋冬我社で遣って貰うことには、感謝と共に経営者として後ろめたさと抵抗を感じていた。

 それまで仕事は自己成長と感動を生み出すものであるべきであり、我社はその仕事の場を提供する場であると自負していた。確かに生活の糧を得る場を提供しているし、他社に比べてその仕事が労働環境劣悪という訳でもないが、只、経営者として働くという場をもっと生活の糧を得る以上の場にしたいという観点からは実に忸怩たる思いであった。

 何とかその仕事の現場に働く喜びを提供できないかという思いの日々だった。

 解決できないままにその専従の作業はなくなり感じた気持ちの負担も薄らいではいるが、社会の多くの製造現場ではその作業のような仕事でまだ溢れている。

経営者として或いは製造現場を変える装置の開発者として何とか働く喜びが伴うモノづくりに製造業を変えていきたいと思うのは、力不足の我が身の創業以来の密かな願いである。

 この一カ月の私からの締めくくりとして

 会社で8時間働くのは我慢して対価を得る為ではなく、自己成長と感動を創出しながら生活の糧も得られる場が私の働くという原点だ。

 苦しい作業や難しい作業であっても、その最中その現場で喜びを得られるような工夫や啓蒙をするのが経営者の責務なのだろう。

 たとえ達成できなくても永遠に次世代に継承してもらいたいテーマである。

株式会社プレシード
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モノづくりを通して感動を

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「多品種生産が可能な製造装置があれば、生産量を増やせるが・・」
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