社長の部屋CEO's ROOM

03.随想編

社歴を語る その4

2015.09.21

1991年6月3日、島原の普賢岳の火砕流で多くの被害者が出た日だが、この日の夕方は現在の松橋事業所の用地を色々な手続きと交渉を経て売買が成約した祝いとお礼で熊本市内で小宴を開いたのを憶えている。この日は小雨降る日だったが宴会に出向く頃夕暮れ前に空が暗くなりいつもより黒い灰が車に降り注いだのを記憶しているが、その時はその歴史的災害とは知る由もなかった。宴席には土地買収の交渉の間に立って動いてくれた松橋町の町議や私の父など5、6名の席だったような気がする。私の父を始め関係者やその宴を開いた新市街の料亭も今はない。多くの出来事も時間と共に思い出の彼方に消えていく。

 創業2年目にして新たな用地買収をするほど当初の勢いは良かった。この頃、顧問税理士先生に勧められてゴルフの会員権を購入したのも思い出す。勿論、事業というのは持ち金で計画できるものではない、初めて数千万円の借り入れをすることとなったが、返済には何の疑いも持たなかった。好事魔多し、土地を手に入れて一年もするとバブル崩壊と集中していた取引先からの受注激減で売り上げは一気に半分以下となり、第一回目の経営危機となった。

それでも今考えれば銀行を走り回るほどの危機でもなく、友人から早くギブアップしないと身の破滅となるなどのアドバイスも受けたが、今の私であれば色々な動きを展開しただろうが、当時は社内では遣ることもなく時が数カ月続き、売上とは全く直結しない興味本位の実験や試作開発で当時の10名近くの社員諸君には遊んでもらった。

資金はあっと言う間に底を尽き、この時から銀行借り入れが本格的に始まった。また、この頃初めて、創業メンバーの一人に営業主任という名刺を与え受注の為の訪問営業を試み始めた。これが我が社の職位の始まりである。

工場用地にしようと手に入れた土地には草が伸び、時折草刈りに出向いた。炎天下に草刈りに出された当時3人いた女性事務員が陰で不平を言い合っていたと聴いた。今思えば無理もない話だが、夢ばかり追いかけている社長の私にはそれは仕事であり言いがかりにしか思えなかった。今もあまり変わりはしないが、現実を直視しないで未来ばかり追いかけているベンチャー企業のもろさの典型的事例であり、時々思い出しては今の社内で似たようなことを私が遣っていないかと考える材料としている。その頃の私は確かに自分の夢ばかり語りそして追いかけ、社員の夢や不安に耳を傾けない独りよがりの経営者だったかもしれない。ただ、現実問題への恐怖と焦りだけは人一倍だったようには思う。会社は一年後に続いているのだろうか、今の顧客がなかったらどうなるだろう、次に仕事が落ち込んだら生きて行けるのだろうか等々今も変わりはしないが、恐怖と共に生きていた。

事業が沈滞している時代に社内の雰囲気を何とか転換したいと皆で考えたとき、ある社員が「ラジオ体操の時、一人ずつ『おはようございます』と大声で気合い入れましょう」という提案があった。我が社の朝礼の開始時の独特の全員掛け声挨拶はこの時から始まった。

 

幸い我社は1992年頃暇だった頃だからこそ、開発遊びで付き合い始めた調剤薬局の機器商社とのビジネスが立ち上がり危機を脱することとなる。暫くは調剤薬局向けのリフターや仕分け装置で事業が安定することとなる。

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