社長の部屋CEO's ROOM

03.随想編

梅の花の時期の想いで

2017.02.20

 この梅の花が散り始める頃になると毎年思い出すことがある。若い頃、道に迷っていた時期があった。いや大学で留年を続け人生に迷っていたと言うべきかもしれない。大学を辞めて就職を決意し入社式に向かったのがちょうど今頃だった気がする。思いが砕かれ失意のうちに帰ってきた。幸いにも大学に退学届を提出していなかった。もう一度出直そうと何も考えないで出直そうと心に誓った。
昼間に街を歩けば、家業の魚屋を継いで頑張っている友に出会ったし、自動車修理工場で働いている友もいた。その頃の私にはその友達が輝いて見え眩しかった。明るい表情で毎日働ける身分が羨ましかった。そんな時にいつも頭の中にこの啄木の歌が聴こえてきた。
「こころよく我に働く仕事あれ、それを成し遂げて死なんと思う」
 自分に自信もなかったがこの歌の境地を求めて心が彷徨っていた。二年後、職にも就かず卒業し、目に留まった新聞の求人広告で、私の専門外と言える今のこの業界への入口となった企業の門をたたいた。自分に向いているかはわからないが、少なくともガムシャラにどんなにきつくても3年間は働いてみようと決意した。その間は乗り換えや近道を探すまい、まっすぐ走ってみようと決意した。
今思えばその決意なければ、そしてこの歌が無ければ辞めていたと思う程、専門外だったし心も体もきつかった。溶接や穴あけ、組立などの工場現場労働助手に夢は見いだせなかった。健康も害して3カ月で10?痩せて倒れたこともあったが、それでも道を探す思いは続いた。
 3年も経つと周りの評価も上がり色々なことで期待されるようにもなった。しかし、そうなった頃には私の心は独り歩きを始めていた。この延長で「こころより働く…」の仕事になるのだろうかと沸々と疑問が出始め、5年過ぎた頃には変化しない環境で時間だけが過ぎていくのに焦りを感じ始めた。上司に何度も退職を願ったが聴きいれられず、半年後ついに辞表を上司の机上に置いて帰り意思表明した。今思えば上司に申し訳ない気持ちも一杯だ。
 何の準備もない脱サラと創業だった。家には出産直後で休職中の妻と子供3人がいた。恐怖との戦いが始まった。またガムシャラが始まったが、今度は金を稼ぐという経済活動の悲惨な戦いも始まった。それでも心は燃えていた。
何の設備もない、工具もない、買う金もないスタートだったが、気持ちは燃えていた。33歳、若かったからだろうか疲れなかった。今思えば羨ましいほど燃えたし興奮もあった時代が始まった。勿論、とんでもない障害とも出会った。その後、何度かは生涯に出会い「もうこれ以上無理だ、人生も終わりだ。」という状況にも出逢った。昨年の地震でも一瞬そう思ったが、今までの障害に比べればずっと軽いとすぐに思えるようになった。命までなくする被害じゃない、人生を失う程の事じゃないと思えたし、実際動き始めればすぐに動き始めた小さな壁であった。

 日常生活でさえ今日の仕事でさえ、常に変わり続けている。古代の人も「万物は流転する」と言ったように変わらないものはない。それなのに変わらない自分を感じた時に今も焦りを感じる。
別の故人も「常に定まりたるためしなし」という。変わる事こそ生き続けることだし、その中に心より働く仕事との出会いがあったと思うのが実感だ。私は今の仕事が天職だとか、私に最適の仕事と思ったことは一度も無い。もっと適した仕事をやっていればもっと大きな成果を残せたかもしれないと思うこともあるが、それでも現在の職は「こころより働く仕事」ではあったとは思っている。
 結局、「こころより働く仕事」は自分の心の中身の問題だったと今なら言える。迷っていた時代には「心より働く仕事」に出会うことなど運が悪い自分には回ってこないと思っていたが、幸せの青い鳥は何と自分のすぐ足元に居たのだ、とずっと後になって分かった。サラリーマンを辞めなくても青い鳥はきっと見つけられたのかもしれない。
仕事を替わった経験者としては、その後は仕事自体を時代と社会の変化の中で変えた、時としては市場を替えそして自分を変えた。しかしまだまだ自分の変え方が足らなかったと思う。成功者として未だゴールに達していないから。
仕事は替えることも変えることも出来る。しかし「自分」を変えることは出来ても替えることは出来ない、他人にはなれないのだから。そうであればこそ更に自分を変えなくてはならないと今も思うのだが…。

*探してみたらHPの「社長の部屋」にもこんなことを昔書いている。
 私の好きな石川啄木の歌の一つ。若い頃人生に目標を失っていた時代があった。其の頃出会って心にずっと突き刺さっている。今、自分の仕事に百%満足している訳ではないし、他にもしたい仕事が沢山ある。しかし、あの何の目標も見出せず、生きることにさえ価値を見出せなかった頃に比べれば幸せだと感じる日々がもう四半世紀続いている。だから時々、あの頃の私のような若者に出会うとお節介をやきたくなる。

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